心に飛び込んできたもの
先日、ひさしぶりに長野へと出かけました。
2泊3日という短い滞在でしたが、思わぬものとの出会いがありました。
この時を逃していたら、もう出会うことがなかったかもしれません。
普段、そんなに興味も向けていない、触れる機会もつくっていないようなものなので。
家人の地元への帰省についていき、別のものに興味があって訪れた場所での出会い。
ポンと目に飛び込んできたときは、ちょっとビックリしました。
そこで出会ったものとは・・

ご存知ですか?
古い映写機です。
長野で行われた「小津安二郎記念 蓼科高原映画祭」に関連して展示されていました。
わたしたちには、プロジェクターのように小型化したものが一般的ですよね。
これは、身長175cmの家人が横に並んでも映写機のほうが少し上回るくらいのサイズ。
戦前の手回しの機械にモーターを付けたもので、とても貴重な映写機だそうです。
戦争で傷を抱えた人たち、復興へ向けて努力する日々のひとときの癒しが映画だった頃に活躍していたのでしょう。
わたしたちの他にも年配の女性のお客様がいて、「そうねぇ、そうだったわねぇ。懐かしいわ。」とつぶやきながら見て回られていました。
なぜ、それが思い出?

この映写機を回すのには映写技師という仕事に就いた人が必要になります。
当時の映画フィルムは燃えやすい素材で出来ていたため、取り扱いには細心の注意が必要でした。
国家資格や技術認定を受ける必要があったくらいです。
わたしの母方の祖父は、その映写技師の仕事をしていたと母から聞いたことがありました。
幼い頃の母は、祖父の勤める映画館に行っては映画を見て過ごしていたそうです。
長野でこの映写機を目の前にした時、話に聞いて想像していた祖父の姿が、現実味を帯びてイメージ出来ました。
思い出の色
わたしが生まれて数年で他界した祖父。
残念ながら、わたしの記憶に祖父との時間は残っていないのですが、幼い日、並んで撮った写真が数枚残っています。
優しく笑って写る祖父の姿を見て、「おじいちゃんが生きていたら、わたしの味方になってくれたんだろうな。」「生きていてほしかったな。」と思ったことを覚えています。
子どもの勝手な思いだけど、写真に残る祖父の姿を見て、そう感じたことは忘れません。
だから、祖父を想うときの思い出の色は・・・
温かに一日の終わりを包んでくれる、柔らかなオレンジに染まった空。
フッと息を抜ける、ちょっと切ないけど、優しい色。
伝わり合う色
祖父を想うとき。
柔らかく包まれ、守られているような感覚になります。
写真に残る、あの優しい笑みが思い出されて、ほんのり温かくなります。
祖父の存在が記憶に残っていなくても、一緒に過ごした短い時間が心に残したものがあるんですね。
祖父を想うときに現れる柔らかなオレンジ色。
オレンジは、「友人や家族を大切にする・求める」というようなメッセージも含んでいます。
そこにある言葉では表しきれない感情も、色は映し出してくれているかのようです。
祖父の想いと私の想い。
心にある色を通して、伝え合っているのかな。
色と心のつながりは・・
色と心のつながりは、理論では伝えづらい部分だと私は思っています。
感覚の中にあるものを表現したり、説明することって難しいですよね。
心の中にあるものを色に例えて表現してみる。
色のメッセージを知って、「これって、こういう思いだったんだ」て発見できると整理がつけやすいことも。
日々の中にある、ふとした時間で感じたことを、そういうものなんだなぁって受け入れていくと、すんなり自分に落ちてくることもありますよね。
そんな中で色と心のつながりを見つけてもらえると嬉しいなと思います。